2010年01月25日
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やっとわかった! 玉電が地下に潜って新玉線になった理由が!

Written By: 川俣 晶連絡先

 大橋趣味の成果の1つです。

 玉電は廃止され、世田ヶ谷線以外はおおむね地下に潜って新玉線になったわけですが。ここで廃止される理由が「車の増加」にあることは明らかです。

 しかし、地下に行く理由は明確ではありません。

 確かに都電の廃止→地下鉄へといった流れが無いわけではありません。しかし、営団でも都営でもない東急です。しかも、山手線の外側です。同じ方法論を使う必然性はありません。(山手線の外側でも営団や都営なら地下もうなずけるが……)

 上に首都高3号を通すので、電車は地下へ……という解釈は分かりやすいようでいて、それほど明確に根拠を示していません。

 しかし、大橋を見て分かりました。

 地上線の急勾配を回避するには、地下化が妥当だったのでしょう。

 もし、高架線にしていたら、現在の大橋ジャンクションのような巨大構造物と高い高架線を建設しなければならなかったのかも。

 (もっとも、代償として大橋ジャンクションができてしまったので、地元は大変だと思いますが)

滝坂との比較 §

 京王線の滝坂と大橋の大坂は主要街道の旧坂である共通点がありますが、対応は全く違います。

  • 京王は、高低差を解消するために仙川駅を掘り割りにした。専用軌道だからできることである。併用軌道の東急にはできなかった
  • 京王はそもそもそれ以前に甲州街道との交差を避けるために経路の付け替えを行っている。滝坂が東京23区外の田舎で土地の取得も用意だからできたことだろう。渋谷間近の大坂で同じことは難しいだろう

 つまり、決定的な相違は以下の点と思われます。

  • 京王は路面電車に毛が生えたレベルから専用軌道オンリーへと指向したが、玉電はそういう方向への具体的な方策を打ち出す前に東急に買われてしまい、東急もあまり熱心ではなかった (路線の全面刷新という過激な手段しか残らなかった)
  • 都心からの距離が大幅に違い、自由度にも大きな差があった

 ちなみに、首都高4号は滝坂付近では既に中央高速に変わっていますが、甲州街道上にはありません。京王線も甲州街道から早期に付け替えて離れています。つまり、当たりようがないのが滝坂であり、避けようがないほど当たってしまうのが大橋であるとも言えます。だから、地下と高架に分かれないと成立しないし、その上で山手通りの地下を更に道路を通すというので、無茶苦茶な状況です。矛盾がほとんど大橋に押し寄せて大橋ジャンクションという化け物も生じるわけですね。そこがまた大橋の魅力でもありますが、問題もであります。

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